2017年3月20日月曜日

平泉 中尊寺金色堂 毛越寺 他

初平泉です。
小学生のころから知っている平泉ですが、訪れる機会がありませんでした。学生時代から日本全国を巡り、会社に入ってからも全国出張で色々なところに行きました。足を踏み入れたことない都道府県は無いのですが、市町村となると沢山あります。余りにも有名過ぎて行けていない代表が、奥州平泉、出雲大社、紀州熊野でしょうか。
今回、平泉にとうとう伺うことになった理由は、この地にあるそば店、「地水庵」を訪れるためでした。しかし、折角この地を訪れるので、観れる処はできるだけ訪ねてみようということになりました。小さな町ですし、Mapで確認すると歩いて回れそうな距離ですので、徒歩で回る計画に。

回る順番は、毛越寺から始まり、金色堂が最後という順番で時間の許す限りに回るという計画です。
毛越寺に着き参観料を支払い境内へ。毛越寺の説明書きを読むと、殆どの建物は火事で焼けてしまっています。毛越寺に限ったことではなく、中尊寺も殆どは火事で焼けています。金色堂だけが火から逃れているということです。毛越寺や中尊寺の立地を考えると、自然発火で火事になるとは思えませんでした。平泉の全てのものが焼かれたしまったと捉えるほうが良いのではないかと、最初の毛越寺で感じました。
毛越寺には、建屋は何も残っていなません。「こんな建物がここにありました。」という説明は、想像を掻き立て面白いなと感じました。池や、水遣りが残っていて、水遣りでの歌会や水上の舞台などはTVの時代ドラマで見たような記憶がありますが、こんな舞台なんだと認識を新たにしました。想像していたより小さな敷地内に色々なものが立てられ、そこで、当時は色々な催しが開かれていたのだと思います。
毛越寺出島とその先の金鶏山
毛越寺から平泉駅に戻り南下します。駅から数分のところに無量光院跡があります。これは、京都の平等院を模した建物であったそうです。Wikipediaでは、「奥州藤原氏は、初代清衡が中尊寺、二代基衡が毛越寺を造営した。そして三代秀衡が建立したのが無量光院である」とのことです。ここは、ただの広場のようで、そこに想像図があります。平等院は知っているので、想像はできます。

また南下すると、義経堂があります。義経最後の地ということで、小さなお堂があります。NHKの大河ドラマで取り上げられた時は多くの観光客が訪れたそうです。私が伺った時には、他には誰も居ませんでした。ここは高台にあり、眼下には平泉の地形がよくわかる案内があります。その通りで、川と山の位置が自然の要塞のようになっているのが理解できました。

南下を続けると、中尊寺入口に到着します。思ったより時間はかかりません。やはり近いです。近距離に様々なものが点在しています。平泉が栄えた藤原氏の時代は、勿論、徒歩での往来が主ですので、この距離感はよく理解できます。やはり、歩いて回ってみて良かったです。距離感が掴めたように思います。

すでに訪問された方はご存じでしょうが、中尊寺の入り口から金色堂までの前半は、急な坂が続きます。年配の方も登っていますので何とか登れるのですが、結構きつい坂でした。
この参道の左右には様々な神々が祭られたお堂が点在します。また、所々に茶店があり、お休み処も完備されています。ゆっくりとお堂を参拝し、茶店で休みながら上へ登るのが良いのでしょうね。
登り切った最後に金色堂がありました。
金色堂は撮影禁止です。中に入ると、音声が金色堂のガイダンスを伝えてくれます。藤原氏4代が眠るお堂は、全てが金箔で覆われています。木製の屋根が金箔でないのがリアルです。
これは凄い建物ですし、中の阿弥陀如来坐像も凄いです。ガイダンスを流すのではなく、経を流したほうがよほど良いと感じます。中尊寺は経も有名です。写経されたものが堂に祭られています。藤原氏の繁栄が、仏教に支えられていたのだということがよくわかる、平泉の町です。それにしても、金色堂が焼けずに現在残っているというのは、奇跡なのでしょう。その軌跡を生んだのも、ここに住む住人が焼けないような努力をされてきたからなのだろうなと思いを馳せました。
皆さんはすでに行っているのだと思います。私はやっと行くことができました。金色堂は心洗われる建物と仏像でした。訪れて良かったと思います。

帰り際にまっすぐ帰ろうと足を進めたのですが、ふと一軒の茶店に気を引かれて、少し戻って店に入りました。目的は無かったのですが、ほんのちょっと気になったというのが正直なところです。折角寄りましたので、何か記念になるものをと思い茶店に入ると、石を掘った一文字の印章がありました。最近水彩画を始めた私は、描いた絵にサインに加えて落款(サインと落款は同義語ですが、ここでは、サインは横文字の自署を、落款は印章を意味します。念のため。)と思って探していました。ここでそれが見つかったのは、何かの縁と思い一文字購入しました。「一期匠(Ichigosho)」がペンネームですが、匠(ショウ)は本名の音「勝(カツ、ショウ)」の音が一緒なので使用しています。本名の「勝」の文字を選びました。水彩画は「札幌そばリサーチラボ(一期匠)」のインスタグラムやツイッターで掲載します。

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