2017年3月30日木曜日

米沢 上杉神社 上杉謙信 

米沢城跡の上杉公園へ。

上杉謙信、上杉影勝、上杉鷹山、伊達正宗、直江兼続と米沢に関わる武将は有名どころが多いようです。それだけ、この地は注目の地で東北の要所だったのだと思います。

公園に入ると最初に、お店屋さんがあります。思わずその中へ入ると、米沢の名産品を販売しています。山形県内の名産が揃ているようです。お菓子、お酒、米沢織と並んでいます。米沢織は有名ですね。確か、上杉鷹山の本にある、鷹山が進めた産業振興のための女性の仕事として広めたと記憶してます。糸をベニバナで染めてから織る、いわゆる紬で、比較的淡い色が特徴で、柔らかい雰囲気の着物などになります。これが、米沢藩の紅花紬です。紬の代表と言われる大島紬、結城紬、紅花紬の一つです。紬と言えば、上田紬に興味を持っています。長野の上田紬の工房の小岩井紬工房でリンゴの草木染をしています。「この糸が淡い黄色で非常にきれいな発色をするな。」と思っていました。ここに飾られている米沢織にも綺麗で淡い黄色糸が混じっています。
ここで、紬に目を取られ結構時間を使ってしまいました。

お菓子もたくさんあり、どれが美味しいのか?でも、今日は米沢といえば、十印と言われるお店で、たくさんお菓子を購入したので、ここでは見るだけでどれにも手を出しませんでした。十印については、また、報告します。

上杉神社へ向かいます。まだ、雪が少しの残っています。神社の入り口には、「毘」と「龍」の旗が。「毘」は、毘沙門天の一文字をとったもので、「龍」は、総攻撃の合図だったようです。その先には、上杉神社が見えます。神社に向うと、左右には有名どころの銅像が並んでいます。

もうすぐ境内入口に到着するところまで来ると、神社の奥の方から、「火事だ!!」との叫び声が聞こえました。数名が騒いでいるので、これは火事だと思いましたが、火の手は上がっていませんし、平然と立っ見ている方も居ます。近づいてみると、「ここから先には入らないで下い。」と言われました。「現在、避難訓練中で、小一時間は入れません。」とのこと。
折角来たのに、ダメだそうです。その先では、大声で叫びながら逃げ回る訓練中の人が数名見えます。結構リアルにやるのですね。会社のビルの防災訓練とは、気合が違うようです。しかし、消防車は見えないし、本当の火事を想定していない中途半端な避難訓練だなとも感じました。重要な文化財ですので、守って欲しいものです。平泉では、金色堂以外は全ての文化財が火事で喪失しています。そんな悲劇は無い方が良いです。

結局、上杉神社には参ることができず、遠くから眺めて終わりとなりました。年に1度(多分、年に1回でしょうね?)の訓練で、かつ、その時間帯にぶつかるというのは、運が良いのか悪いのかと思いながら、神社を後にしました。縁が無かったようですね?!!あるいは、上杉謙信候に嫌われたかもしれません。先ほどのお店で山形特産品を何も買わなかったので!!
人生で再度訪問する機会を持てるかわかりませんが、もう一度来いと言われているようで、これが最後にならないように再訪できればと思います。
遠くに上杉神社境内
近づくと避難訓練です

食べ歩き(97) ミートピア 米沢市

米沢牛のお店、ミートピアに伺いました。
ミートピアは、扇屋牛肉店がやっているレストランです。

沢山ある米沢牛のお店の中でイートインするなら?と地元の方に伺うと、ミートピア、鳥勝を紹介して下さる方が多いようです。観光で来られる方に伺うと金剛閣。ぐるナビではグッド、東洋館となります。余りに沢山あるので、どこが良いのかわかりません??

ミートピアでは、識別コードの付いた特別米沢牛もあります。これよりランクが下の米沢牛も扱っていて、比較的リーズナブルなお肉もありました。

しゃぶしゃぶ、すき焼き、ステーキ、焼肉と何でもOKです。牛かつもありました。今日は、しゃぶしゃぶで肉の味を確認することにしました。しゃぶしゃぶが良いか?ステーキが良いか迷いに迷いましたが、最終的にはお店の方の、肉の味はしゃぶしゃぶの方が分かりやすいという事でしたので、しゃぶしゃぶに。しゃぶしゃぶの米沢牛は1人前で、130gだそうです。特別少ないということは無いようです。

サラダをいただいていると、しゃぶしゃぶの用意が。少しして、米沢牛の登場です。
しゃぶしゃぶして、何もつけずにいただきました。肉の甘味は感じますが、それだけでは何か物足りない感じがしました。普段いただく際には、出来るだけ食材の味だけでいただくようにしているのです。もちろん、肉は溶けますが、何かにつけないと少し物足りなさを感じました。。ゴマダレと、ポン酢を付けていただくと、しゃぶしゃぶに戻りました。

ミートピアには大勢の著名人が来られているそうで、たくさんの色紙がありました。堅苦しくなく、普段着で米沢牛をいただくには持って来いのお店でした。団体のお客さんや、カップル、会社帰りの方など様ざまな方がお店に居られました。お店は全員が女性でやられているようです。お肉の量などを伺うと、即座に調べて教えて下さります。
サービスの牛串
しゃぶ肉

2017年3月28日火曜日

食べ歩き(96) 鮨よしたけ 銀座

鮨よしたけに伺いました。
ミシュラン3★店ですので、今更紹介の必要はないですね。

私たち夫婦の他に、カップルが1組、イタリアンシェフが友人と二人で、中国の男性が一人でという7名でした。
20時30分からの部でしたので、20時20分頃に店に伺うと、前の組のお客様がまだ席に居られ、数分待ちます。
その後に店に入り、真ん中のとても良い席に通されました。手元まで見えるので、楽しい席であります。
時間通りに会が始まります。

料理は、
みるがい
白魚と酒盗の笹の葉焼
なまことこのわたと鮑のくちばしの酢の物
鯛のこのわたつつみ
鯛の背側の刺身
煮だこ
鮑と肝ソース
のどぐろ唐揚げの九条ネギあんかけ
と繊細で素材を活かした料理が続きました。鯛の腹と背の違いが分かります。手の加え方によりこんなに違うものなのですね??!
この後に寿司が、
すみいか
鮪づけ
鮪中トロ
鮪とろ
サクラマス
金目鯛
こはだ
あじ
大間の紫雲丹と馬糞雲丹
ボタン海老
笹の葉焼き穴子
中落ち手巻き
玉子
と続きました。
美味しいお寿司でした。穴子の笹の葉で焼いたお寿司は、特別美味しかったです。笹の香りと穴子が合います。

2017年3月20日月曜日

平泉 中尊寺金色堂 毛越寺 他

初平泉です。
小学生のころから知っている平泉ですが、訪れる機会がありませんでした。学生時代から日本全国を巡り、会社に入ってからも全国出張で色々なところに行きました。足を踏み入れたことない都道府県は無いのですが、市町村となると沢山あります。余りにも有名過ぎて行けていない代表が、奥州平泉、出雲大社、紀州熊野でしょうか。
今回、平泉にとうとう伺うことになった理由は、この地にあるそば店、「地水庵」を訪れるためでした。しかし、折角この地を訪れるので、観れる処はできるだけ訪ねてみようということになりました。小さな町ですし、Mapで確認すると歩いて回れそうな距離ですので、徒歩で回る計画に。

回る順番は、毛越寺から始まり、金色堂が最後という順番で時間の許す限りに回るという計画です。
毛越寺に着き参観料を支払い境内へ。毛越寺の説明書きを読むと、殆どの建物は火事で焼けてしまっています。毛越寺に限ったことではなく、中尊寺も殆どは火事で焼けています。金色堂だけが火から逃れているということです。毛越寺や中尊寺の立地を考えると、自然発火で火事になるとは思えませんでした。平泉の全てのものが焼かれたしまったと捉えるほうが良いのではないかと、最初の毛越寺で感じました。
毛越寺には、建屋は何も残っていなません。「こんな建物がここにありました。」という説明は、想像を掻き立て面白いなと感じました。池や、水遣りが残っていて、水遣りでの歌会や水上の舞台などはTVの時代ドラマで見たような記憶がありますが、こんな舞台なんだと認識を新たにしました。想像していたより小さな敷地内に色々なものが立てられ、そこで、当時は色々な催しが開かれていたのだと思います。
毛越寺出島とその先の金鶏山
毛越寺から平泉駅に戻り南下します。駅から数分のところに無量光院跡があります。これは、京都の平等院を模した建物であったそうです。Wikipediaでは、「奥州藤原氏は、初代清衡が中尊寺、二代基衡が毛越寺を造営した。そして三代秀衡が建立したのが無量光院である」とのことです。ここは、ただの広場のようで、そこに想像図があります。平等院は知っているので、想像はできます。

また南下すると、義経堂があります。義経最後の地ということで、小さなお堂があります。NHKの大河ドラマで取り上げられた時は多くの観光客が訪れたそうです。私が伺った時には、他には誰も居ませんでした。ここは高台にあり、眼下には平泉の地形がよくわかる案内があります。その通りで、川と山の位置が自然の要塞のようになっているのが理解できました。

南下を続けると、中尊寺入口に到着します。思ったより時間はかかりません。やはり近いです。近距離に様々なものが点在しています。平泉が栄えた藤原氏の時代は、勿論、徒歩での往来が主ですので、この距離感はよく理解できます。やはり、歩いて回ってみて良かったです。距離感が掴めたように思います。

すでに訪問された方はご存じでしょうが、中尊寺の入り口から金色堂までの前半は、急な坂が続きます。年配の方も登っていますので何とか登れるのですが、結構きつい坂でした。
この参道の左右には様々な神々が祭られたお堂が点在します。また、所々に茶店があり、お休み処も完備されています。ゆっくりとお堂を参拝し、茶店で休みながら上へ登るのが良いのでしょうね。
登り切った最後に金色堂がありました。
金色堂は撮影禁止です。中に入ると、音声が金色堂のガイダンスを伝えてくれます。藤原氏4代が眠るお堂は、全てが金箔で覆われています。木製の屋根が金箔でないのがリアルです。
これは凄い建物ですし、中の阿弥陀如来坐像も凄いです。ガイダンスを流すのではなく、経を流したほうがよほど良いと感じます。中尊寺は経も有名です。写経されたものが堂に祭られています。藤原氏の繁栄が、仏教に支えられていたのだということがよくわかる、平泉の町です。それにしても、金色堂が焼けずに現在残っているというのは、奇跡なのでしょう。その軌跡を生んだのも、ここに住む住人が焼けないような努力をされてきたからなのだろうなと思いを馳せました。
皆さんはすでに行っているのだと思います。私はやっと行くことができました。金色堂は心洗われる建物と仏像でした。訪れて良かったと思います。

帰り際にまっすぐ帰ろうと足を進めたのですが、ふと一軒の茶店に気を引かれて、少し戻って店に入りました。目的は無かったのですが、ほんのちょっと気になったというのが正直なところです。折角寄りましたので、何か記念になるものをと思い茶店に入ると、石を掘った一文字の印章がありました。最近水彩画を始めた私は、描いた絵にサインに加えて落款(サインと落款は同義語ですが、ここでは、サインは横文字の自署を、落款は印章を意味します。念のため。)と思って探していました。ここでそれが見つかったのは、何かの縁と思い一文字購入しました。「一期匠(Ichigosho)」がペンネームですが、匠(ショウ)は本名の音「勝(カツ、ショウ)」の音が一緒なので使用しています。本名の「勝」の文字を選びました。水彩画は「札幌そばリサーチラボ(一期匠)」のインスタグラムやツイッターで掲載します。

2017年3月10日金曜日

食べ歩き(95) すし紀文 仙台市

すし紀文へ伺いました。

仙台市の定禅寺通りにあるお寿司屋さんです。以前は国分町にあった紀文寿司が移転縮小して、完全予約制でやっているお店です。30年ほど前に、前のお店に伺ったことがありましたが、当時の紀文寿司が「すし紀文」になったというのは、今回伺って初めて分かりました。

席は6-7席が最大で、カウンターだけのお店で、大将とおかみさんの二人でやられています。つまみとすしで、全ておまかせです。店内はjazzが流れ、静かな中で酔えんが始まるという感じです。

2時間半を越える時間がゆっくりと流れ、その間Jazzと小料理&お寿司と、大将とおかみさんの優しい話し声と、黒田寿弘画伯(大将)の水彩画が巡り巡ります。窓の外には、定禅寺通りのけやき並木があり、その先にメディアパークのガラス越しの光が飛び込んできます。こんな贅沢な時間を、ゆっくり過ごすこと自体がご馳走ですが、料理やお寿司も大変おいしかったです。

今回は、満席で水彩画の書き方を教えていただけなかったのですが、次回は水彩画教室もひらいて下さるということを約束しました。お店を出るまでに、水彩画を描けるようになる?そうです。  私も水彩画を描いてみようかな?

先日伺った、秋田のすし兆さんは、寿司をいかに美味しくいただくかに全血を注いでいると感じました。今日の紀文さんは、寿司、料理を中心に芸術の色彩を散りばめた楽しい時間と環境を提供してくださいます。両店ともに、それぞれのポリシーを感じる楽しいお店です。

カウンター

牡蠣

ホタルイカ

鯛カマ酒蒸し

あん肝

鮟鱇友和え

うにのムース

めひかり

ナマコやまかけ

蟹チラシ

太刀魚

鮪赤味

本鮪トロ

北寄貝

白ボタンエビ

ヤリイカ炙り
この他、最後のお寿司は手渡し穴子にぎり(故に、写真はとれず)としじみ味噌汁
デザートは、アイスクリームと水ようかんでした。

2017年3月3日金曜日

食べ歩き(94) 秋田比内地鶏や 秋田市

秋田比内地鶏や でランチです。

今朝は、朝食をとれなかったので、久々のランチにしました。
秋田駅近郊でランチに良さそうなところを探して、「秋田比内地鶏や」をチョイスしての訪問でした。場所は、秋田駅ビルの3階のレストラン街の一角です。仙北市と秋田市にお店を構えているようです。東京神田や他にも同じ店名の店があります。たぶん系列なのかもしれません。

比内地鶏の親子丼がメインで、他にはきりたんぽ鍋を出しているようです。比内地鶏丼は2種類あり、一つは、肉が比内地鶏で卵が普通のニワトリの卵、もうひとつは肉とタマゴが比内地鶏のものです。ここまで来て、他人丼というわけにいかないので、両方が比内地鶏の親子丼をお願いし、ご飯は半分にしてもらいました。

「比内鶏」は、昭和17年に学術的な価値が認められ、国の天然記念物の指定を受けており、原種を食用とする事はできないそうです。
そこで、秋田県畜産試験場が昭和48年から比内鶏原種について経済性の観点から育種選抜を重ね、品種の固定化を目指し、「秋田比内鶏」が誕生したのだそうです。この「秋田比内鶏」のオスとロードアイランドレッド種のメスから品種を固定化させたのが食用の「比内地鶏」(1代雑種=F1)だそうです。これをいただけるということですね。

出てきた親子丼は、卵のフックラ感は東京人形町の玉ひでの親子丼には及びませんが、卵の味は大変濃いですし、地鶏の肉も味が濃くかつコリコリ感があります。この卵と地鶏のの組み合わせはいい感じです。

食べ歩き(93) すし兆 秋田市

秋田市 「すし兆」

秋田訪問日程とお店の予約がかみ合わずに、予約が取れないでいた「すし兆」に、初めて伺いました。

予約時間の6時の10分ほど前に、ここがすし兆だと確信しました。しかし、暖簾がかかっていませんし、近くに別の名前のお寿司屋さんもあります。疑心暗鬼でお店の扉を引きました。中を覗くと、店長が店の真ん中に座り、迎えてくれました。「ホッ!」です。
店の入り口の外に暖簾がかかっていないので、初めての人には店が何処かよくわかりません。内暖簾です。店の前を数回行き過ぎて、初めてここだと理解しました。Google Map使っても分からないのは、私だけかもしれません。鮨店=暖簾という思い込みが良くないのですね。暖簾がないので、前を何度か通り過ぎていました。

「少し早かったですか?」と伺うと、「どうぞ座って待っててください。時間になったら始めましょう!!」ということで、コートをかけて一番端の席に。
ここに来るに至った話や、店長が明日から札幌にスキーに行くという話をしながら、他のお客さんが来るのを待ちました。
店は6-7畳ほどで、カウンターが4席+1席です。+1席は、私の席という感じです。通常は4席でやってられるようです。他のお客さんは、カップル×2組でした。6時前にお二人が来店しましたが、まだ2つが空席です。6時を過ぎると、「少しずつはじめてましょう。」という店長の声で、おまかせが開始です。
お酒の方は、お酒をお願いし、飲めない私は、お茶でスタートです。
先付が出てから少し経つと、空席の持ち主が現れました。2組とも年配のカップルで、いい感じです。どちらも、地元の方でした。

最初は、煮だこです。
その後は、お寿司が次々と握られました。
暖簾は店の中です
煮だこ
柔らかく煮あがっていました

中トロ

ひらめ

甘鯛

真鯛
 ひらめ、あまだい、まだいと白身の歯ごたえ、味共に三者三様で、いきなり楽しい組み合わせでした。

すみいか
塩で

ブリのヅケ
おろし大根で

たぶん、アガサエビ(美味しいエビでした)

穴子
穴子とシャリが溶けます

さより

アジ

北寄貝

赤貝
 タイラガイの海苔巻(貝も、海苔も美味しいです)(写真なし)
タイラガイを炙り、生海苔(青海苔含む)で巻いて出されました。そのまま口へ、これは美味です。海苔も美味しいし、タイラガイの炙りも絶品です。

玉子
大・大・大好きな玉子の美味しです

鮪ヅケ
ウマイ

三浦海岸産新わかめの味噌汁(丁度良いコリコリ感)
ズワイガニの海苔巻(写真なし)

子持ちヤリイカ煮つけ
実の柔らかさとタマゴのコリコリとシャリの食感が混ざります

炙りカマス
最後に出された、生カマスの炙りは、大袈裟ではなく人生で最高の握りでした。
カマスがこんなに美味しいのだという驚きも加わっていますが、口に入れてから飲み込みしばらくの余韻を含めて、超々絶品でした。最後の寿司ですので、お腹は膨れてきていますが・・・もう一度、最初からおまかせを始めてここに到達したいと思わせます。
カマスは、広島地方の諺では、「カマスの焼き食い一升めし」と言われているそうです。それだけ、美味しい魚なのですね。大将によると、皮のすぐ下に脂がのっているので、皮を削いだらすぐにそれを炙ることで旨味を出すのだそうです。一夜干しも美味いけど、生の炙りは美味しいとのこと。これが技なのだと思いました。